01


もう感覚さえない、力の入らない左腕を気力だけで持ち上げる。
目の前に立つ相手を睨み据え、俺はゆっくりと唇を笑みの形に歪めた。

「っ…はぁ…はぁ…」

ひたりと冷静に狙いを定めて、手の内にある鈍い輝きを放つ冷たい銃の引き金を引く。…呆気ない幕切れ。

「――っ…ぁ…」

ゴトリと、手から滑り落ちた銃がコンクリにぶつかり音を立てる。
反動に耐えきれなかった体は崩れ落ち、俺の手は、視界は、赤く、赤く染まる。

――あぁ…俺が……

息をするのも苦しくなってきて俺は左手で胸元をきつく、きつく、握り締めた。

「はっ、くっ…―っ」

その手に熱を伝える温かな何かが触れて、ぴくりと体が震える。

「拓磨」

「っ、は……」

「起きろ拓磨」

するりと耳に入り込んできた低い声に、震える瞼を押し上げれば染み一つない綺麗な天井が目に映った。

「また魘されたのか」

耳を擽る低い声音に、横へ視線を移せばスーツ姿の猛がベッドの傍らに立ち、俺を見下ろしていた。胸元を握っていた俺の左手を猛の右手が包み、ゆっくりと胸元から離される。

「はっ…はぁ…」

乱れた呼吸を整え、俺は今見た夢を振り払うようにゆるく頭を振った。
その際重ねられていた猛の手が離れていき、俺は片手をついてゆっくりとベッドの上で上体を起こした。

「今日は十時に三輪が来る予定になってる。治まらねぇようなら三輪に相談しろ」

「…あぁ」

あの日からもう一週間。精神的に不安定になっているのか俺はあの日の夢をよく見る。
俺が復讐に手を染めた日。実際には遂げることは出来なかったけれど。

側に立ったまま動く気配を見せない猛を見上げる。
ここ最近、恐ろしいと感じた深い闇を思わせる漆黒の双眸は風の無い湖面のように凪いでいた。

「それから、三輪に訊いて動けるようなら連絡しろ。昼飯に連れて行ってやる」

「…分かった」

返事を聞いた猛は俺に背を向け寝室から出て行く。
同じくこの一週間、どういう心境の変化か猛は俺の居るマンションに帰って来るようになっていた。

目まぐるしく変わっていく日常に、何故だか俺だけが取り残された様な気がして、寒くもないのに震えた身体を俺は抱き締めた。








十時に三輪が来るまでに片手で顔を洗い、寝間着から普段着に着替える。
ここ一週間程で大分痛みの無くなった右腕に少しほっとしながら一度三角巾を首から外し、クローゼットに仕舞われていたゆったりとしていて肌触りも良い長袖のシャツにギプスで覆われた右腕を通す。

ゆったりと余裕がある分右腕を覆うギプスも難なく通り、頭からシャツを被って最後に左腕を通した。

三角巾を付け直して右腕を吊ってから、その上にもう一枚薄手の長袖シャツを羽織る。左腕を通し、右腕の通らない方の袖口は裏に折って返し、ボタンは止めずに右肩に引っ掛けるだけに留めた。

「ふぅ……」

片手での慣れない着替えに始めこそ手間取っていたが一週間もすればなんとか要領は掴めて、短時間で着替えは済むようになった。

着替えを済ませてリビングへ向かうと、リビングのテーブルの上にはラップの掛けられた皿が二皿置かれている。
ラップの中身を覗けば手掴みで食べれるようサンドイッチと爪楊枝を刺すだけで食べれるようにか唐揚げとウィンナーが入っていた。

「また上総か」

置かれたサンドイッチの具は日によって違うが、作り手は何を考えているのか。流石に毎朝これだと飽きてくる。

しかし現実問題として利き手が使えない今、俺が作れる料理などたかが知れている。

「………」

仕方なくラップを開けて、俺はソファに座り、もそもそとポテトサンドイッチを食べ始めた。
静かな室内では時を刻む時計の音が大きく聞こえる。

「…俺はどうしたらいいんだろうな」

身を沈めたソファでポツリと呟く。

契約を破棄した猛に、俺は自らの意思で猛を選んでついて来た。しかし、契約を破棄したからか猛からは何をしろとも何をするなとも言われていない。

ただ時おり食事に誘われたり、怪我の具合を聞かれたり。最近は戸惑うことが多い。

「それとも俺が怪我人だから何も言ってこないのか?」

頭を覆っていた包帯はつい先日取れたが、肋骨に入った皹の方は腕の骨折より完治にまでまだ少し時間が掛かると言われている。
それでも日常生活を普通に送る分には問題はない。

「………」

難しい顔をしながら用意されていた朝食を口に運ぶ。
安静を言い渡された身で何か出来るわけも無く、持て余した時間で俺はよく考え事をするようになっていた。

そして空にした皿を流し台に運び、水を張った桶に浸ける。
片手では皿を割る可能性が高いので洗うことまでは出来ないが、水に浸けておけばいいだろう。

リビングの置き時計で時間を確認し、まだ八時半を過ぎた所かと流れる時間の遅さに息を吐く。

自室として与えられた部屋に向かい、充電器に置きっぱなしにしていた携帯電話を取ってリビングのソファに戻る。
飾り気もない黒い携帯をパチリと開いて見れば昨夜一件の着信があったことを、表示された画面が告げていた。

「この番号…大和か」

携帯電話の電話帳には日向と上総の番号しか登録していなかった。つい先日そこには猛と唐澤の番号が加わったが。大和の番号は登録せずとも覚えているので登録する必要がないのだ。
もとより俺は顔の見えない相手と連絡を取り合うような携帯電話という物があまり好きじゃない。
ただ周りが持っていろと言うので手元にあるだけの話だ。

電話をくれた大和も電話としては使っているようだがメールは嫌いだと前にはっきりと言っていた。
その大和からの着信に、俺は少し考えてからリダイヤルボタンを押した。

「今の時間だと家か学校か」

同じ大学へと通ってはいるが大和は工学部で俺は教養学部だ。学部も違えば取っている授業も違う。流石に相手の時間割りまでは把握していないので直ぐに出なければ切ろうと、繋がった呼び出し音に意識を向けた。

『…はい。相沢』

しかし、その予想に反にしてニコール目でひやりとした冷涼な声は俺の鼓膜を震わせた。

「大和」

『拓磨か。ちょうど今、連絡をとろうと思った所だ。昨夜一度連絡を入れたんだが…』

「悪い。手元に置いてなかった」

『そうか』

ざわざわと電話口の向こう側から聞こえるざわめきに俺は確認を取る。

「外に居るのか?」

『あぁ。校内のカフェテリアに居る』

「講義は」

『一限は休講だ。次の講義まで一コマ空きになった。お前の方は大丈夫なのか』

「十時に医者が診察にくるぐらいだ」

そうかと静かに返された声は同じ調子で続きの言葉を口にした。

『西と東の掃除は粗方終わった。北は後数日中には片が付く』

「…南は?」

唐突に切り出された話にすっと自然に俺の頭も切り換わる。
凭れていたソファから身を起こし、大和との会話に集中した。




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